「宮城野」名跡にも注目が集まる(左から元横綱・白鵬、伊勢ヶ濱親方。時事通信フォト)
日本相撲協会は6月2日の臨時理事会を開催し、史上最多の幕内最高優勝45回という記録を持つ元横綱・白鵬の宮城野親方が提出した退職届を受理。伊勢ヶ濱部屋では、昨年4月に転籍してきた旧宮城野部屋の力士や裏方たちを継続して預かることが決まった。また、退職そのものの衝撃とともに、白鵬が襲名していた年寄名跡「宮城野」をめぐる措置にも関係者の注目が集まっているという。
協会内にも今回の宮城野親方の退職をめぐる対応を疑問視する声もあったようだが、八角理事長(元横綱・北勝海)を筆頭とする執行部は意に介さなかったようだ。相撲ジャーナリストが言う。
「伊勢ヶ濱一門の理事である浅香山親方(元大関・魁皇)や伊勢ヶ濱親方(元横綱・旭富士)は“慰留を試みたが、本人の意志が固かった”とし、八角理事長は“大変残念だ。意志が固く、残念だが受理するしかない”とコメント。ただ、協会は退職を願ったり叶ったりと受け止めているのではないか。事態の推移を見るとそう思えてならない。
理事会では“モンゴルからの帰国を待って判断しても遅くない”と複数の反対意見も出たとされるが、それを押し切るようなかたちで“本人の意思だから”と受理することになったという。受理してから“預かり解除を11月場所後にすることを検討するつもりだった”とか“今後は浅香山部屋預かりにすることを考えていた”と発表したが、初めて聞いたという親方ばかり。本気で説得するなら早い時期に宮城野親方に伝えるべきだったという声が協会内でも出ています」
実際、宮城野部屋の閉鎖以降、理事会では同部屋の再興などの処遇について話題にもしていなかったとされる。
「さらに、退職の決断に至ったのは、同じモンゴル出身横綱で7歳年下の照ノ富士親方が伊勢ヶ濱部屋を継承する流れになったことがあるから。いずれ照ノ富士親方が一門の統帥になることも許せなかったのだろう。圧倒的な実績を残してきた宮城野親方は周囲に“照ノ富士への好き嫌いではない。後輩の下につけない”といった趣旨の不満を漏らしていたという。照ノ富士親方が部屋を継承する6月をタイムリミットとして部屋再興が認められるべきと考えていたが、時間切れということでしょう」(前出・相撲ジャーナリスト)