長嶋茂雄さんとの初対戦の思い出なども振り返る
「ミスタープロ野球」として日本中から愛された長嶋茂雄さんが亡くなった。かつてミスターが本誌・週刊ポストで「ライバル」として名を挙げた投手の一人、巨人と「伝統の一戦」を戦ってきた阪神のエース・江夏豊氏(77)が惜別の弔辞を寄せた。
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あのミスターが……。最初に訃報を聞いた時、身体が固まったまま動けなかった。人間、歳を取ればいつかはとわかっていたつもりだが、まさかという思いだ。
我々は「ミスター」と呼ばせてもらっていたけど、全盛期に勝負ができたことは、ピッチャー冥利に尽きる。
ミスターを意識したのは初対戦した1967年5月、甲子園での巨人戦。
2球でポンポンと追い込んで、「よし、三振取ったれ」と胸元へストレートを投げたら、レフト線へ弾丸ライナーで打ち返された。ミスターは脱兎のごとく駆け抜けてツーベース。
普通は塁上で投手を睨むか、軽く笑みを浮かべるもんだ。それが、知らんぷりでユニフォームの泥を手でパパッと払っている。その姿に「これが天下の長嶋茂雄か、かっこええなぁ」と、もうそこから半世紀、長嶋ファンよ。
ミスターの監督最後の試合(2001年)は甲子園で、俺は人生で初めてサインをもらいに行った。それくらい憧れていたし、ミスターもことあるごとに「豊、豊」とよく声をかけて可愛がってくれた。
とにかくミスターは、どこを攻めたらいいというのがない。平気でド真ん中を空振りするのに、決まったと思ったアウトローギリギリの球を完璧にライトへ打ち返される。本当に摩訶不思議な打者だった。そこが天才たる所以なんだろう。
ミスターは第一次政権時の1975年オフ、阪神にいた俺を獲りに来てくれた。どっかで「江夏は阪神を出される」と聞いたらしい。ミスターが江夏を獲りたいと漏らしたことで、ミスター派の記者と巨人の広報がトレード画策のために動いてくれて、裏で何回か巨人関係者とも会った。